隅田川
隅田川は北区岩淵水門で中央区築地大橋の先で東京湾に注ぐ23.5Kmの1級河川です。東京の母なる川の一つで、江戸庶民にも愛され東京の歴史と共にある川です。
この隅田川が荒川区の区名の由来となった「荒川でした」秩父から流れを発した荒川が汐入あたりで隅田川(大川)と名を変えて流れる。しかし荒川の水害対策のために1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)にかけて、17年がかりの難工事で人工の荒川放水路が北区岩渕町から江戸川区葛西にかけて全22kmが完成しました。1965(昭和40)年に河川法が改正され旧河川を岩淵水門から東京湾河口まで全て隅田川とし、人工河川である荒川放水路の方を荒川本流とするように変更され現在に至っています。こうして荒川のない荒川区が誕生致しました。
もともと流れていたのは荒川と書きましたが、中世以前は入間川でした。徳川家康が江戸に入ると江戸の治水のために川の付け替えをたくさんしました。利根川東遷、荒川西遷が行われたのです。それまで利根川水系であった荒川を西に移し変えて入間川と合体させたので、入間川は荒川の支流となり、それまで荒川区域を流れていた入間川は荒川と名前を変えました。江戸時代以前は入間川だったのです
昔はなぜ汐入付近で荒川(入間川)から隅田川と名前が変わったのでしょうか?その答えは汐入付近で荒川(入間川)と隅田川が合流していたからなのです。もともと荒川(入間川)と隅田川は別の川だったのです。汐入公園付近から対岸を見ると高速道路が隅田川に出てくる辺りに小さな川が合流しているのが見えます。地図を見ると旧綾瀬川と書いてありますが、これが古隅田川の跡です。古隅田川は本流が切り替わるうちに小河川となってしまい目立たなくなって、流路が綾瀬川の放水路に利用されたり、荒川放水路で断絶され、現在では大河が流れていた痕跡は無くなっています。いま流れている隅田川は本当の意味でいうと荒川+隅田川なのですが、隅田川の上の方がほぼ消えてしまったので荒川=隅田川になってしまったと理解していただければ
小台橋
荒川区内隅田川最上流の橋が小台橋です。荒川区西尾久3丁目から足立区小台2丁目。小台通り(東京都道458号白山小台線)が通る。江戸時代は江戸六阿弥陀の一つ、沼田の惠明寺や西新井大師への参詣路となる小台の渡しがあった。ここに初めて橋が架けられたのは1933(昭和8)年の関東大震災後の復興都市計画に基づいて橋が架けられた。その後、老朽化により1992(平成4)年に現在の橋に架け替えられた。形式 - 鋼ニールセンローゼ桁橋。橋長 - 122.0m。幅員 - 15.0m。上流は首都高速中央環状線の橋〜豊島橋。下流は尾久橋です。都バスの東43 江北駅~東京駅丸の内北口。東43 豊島五丁目団地→駒込病院前が走っています。